5日に緊急入院した弟も、20日に強制退院だ。
お粥を食べ、ふらふらしている状態らしいが、日赤に入院して居られる様な悪い状態ではない
らしい。転院先を紹介してもらったようなので、健康上の不安はないが、兄としては最大の問題
が未解決だ。当然、経済的な支援だ。転院先はアルコール依存症の治療のための精神病院
らしいが、保険は効くらしい。故に、医療費は高額医療費の還付があるとすると4万/月ぐらいな
のだろうが、一時金として支払い、2~3ヶ月後に還付されるらしいのだが、
還付先が弟の銀行口座なら、私には還ってこない事になってしまう。
月の医療費が30万/月として、3ヶ月入院していると、90万の出費、私としてはだ。
これに、2年分の保険料の支払い額、18万、日赤への入院費用、16万/今回(?)となると
90+18+16=124万になってしまう。
2009年中、これで終わりならそれでもよいのだが、そうとは思えないので、悩んでいる。
また、2010年はどうなる、それ以降はと考えてしまう。
当然、こんな事、妻には伝えない。夫婦不和の元だろうから、小遣で処理するしかないのだが
それではずーと手取り15万/月で働く羽目になってしまう。
幾ら兄弟といえども、やってられない。
こういう事態、10年も20年も前から怖れてはいたが、目をつぶっていたつけだろう。
30年後の息子の姿が脳裏に浮かぶ。
最終的には娘か、その子が息子の面倒を見る事になるのだろうが、気の毒だ。
なんやかんやで20日(火)に徳島へ行き、転院先へ送り届けと生活保護の相談をする計画だ。
生活保護の相談が1日で終わるとは思えないのだが、21日は休めないので、20日に徳島を
離れなければならない。中途半端で終わってしまうのだろう。
定年後設計、砂上の楼閣であったようだ。
そうならない為には、切り捨てればよいのだが、そこは身内、複雑な心境なのだ。