HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

救急車に乗せられた実弟

正月明けそうそうに弟が救急車に乗せられ、日赤へ搬送されてしまった。

最悪の状態に我が定年後生活が追い込まれそうで戦々恐々なのだ。

5日の18時頃に、おかしな電話があり、おれおれ詐欺だと思い、慎重に対応していたのだが、

まともな連絡だったので、慌ててしまったのだ。

相手も親族が誰も捉まらずに慌てていたのだ。

集まりに出てこない弟を心配した消防団長が自宅を訪問し、血を吐いて倒れていた弟を発見し

救急車を呼び、救命救急センターへ搬送したのだそうだ。

団長が一番心配したのは、無保険、どうしようと思い連絡簿を見て、あちこち連絡したようだ。

あちこちと言っても3箇所なのだが、その一箇所は妹の娘の嫁ぎ先、大迷惑だったようだ。

夜行バスのキャンセル待ちで、小松島へ移動、6時頃到着したのだが、国道沿いの

停留所で位置方角不明流石に慌てたが、気を取り直し、市内だろう方向に向かって歩く。

JRの小松島駅あたりに着くと思っていたのが大失敗なのだ。

切符の行き先は徳島、それで小松島まで乗ったのだが、料金が同じなら云いということだった。

列車とは違う感じだ。

JRの高速バスに乗ったのは初めてで、何も調べていなかったのだ。

JRのバス切符売り場で満員だと言われたのだが、キャンセル待ちでもよいと伝えると、

新宿駅の売り場に行けば、キャンセルがあるかも知れないと云われて移動。

結果的には2席に空きがあり、乗れたのだが、降りたのが、想像外の所だったのだ。

タクシーはないわ、バスの停留所はないわ、土地勘はないわでないないづくしなのだが、

市内方向という方向に歩いて、JR駅近辺まで行くと、人がいたので、病院はどちらの方向

かと尋ねると直ぐそこだというので、これまた慌てる。

当方のイメージでは日赤は、商業高校の近辺にあるはず、古い記憶なのだが。

教えられた所へ行くと、日赤、立派な病院で、一目見るなり違うと思う。

妹の見舞いに来た時は、もっとボロの病院だったのだ。

清掃していた人がいたので、小松島日赤はどこかと聞くと、ここだというのだ。

ここといわれても、徳島日赤と看板に書いてあると云うのだが、ここだというのだ。

団長もはっきりと小松島日赤へ搬送したと云っていたのだから、混乱してしまったのだ。

日赤が小松島市内に二箇所もあるはずがないという思いと、小松島市にあるのに徳島日赤

とは何かとは思いながらも病院へ入る。

病院内をうろうろ、ガードマンの詰め所が有ったので、弟が入院していると思うので

面会したいというと、2階の受付へ行けという、2階の受付は閉まっていたのだが、教えられた

エレベータに乗り行くと、受付があり、人も居た。一般外来と違う受付なのだ。

そこで、救命救急センターの場所と入り方を教わる。

教えられた通りの手順で、救急救命センター内のICUへ入る。

看護士が向かいに来て、消毒薬での手洗いとマスクをさせらた。

看護士に、此方が弟さんですと示されたが、弟とは思えず、暫し、呆然としてしまう。

痩せ衰えていたのだ。

10日ほど、食事をしていないと看護士さんから教わるが、そんな痩せ方ではない。

妻の妹が甲状腺の病気に掛かり、凄く痩せたが、それ以上に痩せていたのだ。

あ~あ、仕送りを強引に中止したのが、まずかったと大反省だ。

仕事もなく、食料を買う金はなくとも、不思議に酒を飲む金があり、飲んだくれていたのは

容易に想像がつく。

これで、肝臓と食道を傷め、体力も無くなり、動くのが億劫になり、ますます仕事にも出られなく

なり、酒びたりの日々、最後は吐血し、心配した団長が訪問し、見つけてくれたのだ。

看護士に容態を聞くが、医者が説明するので、待ってくれという。

そこで、ICUに入っている患者と比較して容態はどうかと聞くと、悪くないという。

死ぬかと聞くと、よくなってきているという。

医者もアルコール性の疾病だとの診断なのだろう。

これは医者との面談時に明らかになった。

医者との面談が9時か10時だと云うので、病院内を再びうろうろ。この頃になると職員が

大分でて来ている。

皆さんが私の顔を見る。

頭に老眼鏡を掛け、ICUの入り口で貰ったマスクをし、ジーパンで、ぶかぶかの

オリジナルフィールドコートと薄汚れたセーターを着た目つきの悪いのが、寝不足の顔で

ふらふらしていたから、監視されていたのだろう。

医療相談室があったので、開始時間外だが入って行くと、男性がどういうご用件でしょうかと

聞くので、

1)弟がICUに入院した

2)無保険だがどうしよう

3)保険と使わないで全額自費で処理しようと思うが、どのぐらいの費用になるか

4)生活保護を受けさせようと思う

だったかを告げると、専門の人も含めて相談したいので、待ってくれという。

時間は幾らでもあるので、了解だ。

九時すぎかに、呼び出され、相談する。専門の人とは医事課の人のようだ。

結論は、

A)ICUは最低で3万/日掛かるが、治療の内容によりもっと上がると言うが

栄養剤と消炎剤の点滴だろうから、医薬品費たいしたことないのではと反論してしまう

B)治療費の請求は月末なので国民健康保険に入りなさい、入ってくださいという

C)生活保護は、専門外のようだし、此方もそう聞かなかった

D)昨夜の治療の経緯らしい事を書いた紙を持っていたので、覗くと、アルコール性云々という

文言があり、病院もそういう認識かと思い安心した

それから、30分ぐらい後かで、医者の面談があり、病状を伝えられる。

パソコンの画面を見ながら説明されたが、検査結果の数値を見ても、分からないので

お任せしますという。拘束と鎮静剤の注射の話しをするので、拘束どうぞ、沈静剤たっぷり

打ってもいいですよ、死んでしまうぐらいと口を滑らしてしまう。

アルコール切れで暴れるようだと、酒でも飲ましてくださいといい、そんな事、絶対出来ません

と拒否されてしまう。

面談は二名の方がいたが、二名とも医者のようだ、1名の方は研修医なりたてかと思う。

私から見ると二人とも子供だ、相手から見ると私は困った年寄りなのだろう。

最後は、輸血の承諾書にサインして終わり。

必要があれば輸血もお願いしますとは言ったが、しないで済むならしないで欲しいと伝えた。

不思議な心境なのだが、輸血で色々な病気になられると益々面倒になるからだ。

医者もICUに入る必要はなかったのだが、ベッドが昨夜はなかったので、入れたので空きが

できたら移すというので、どうぞどうぞと答える。

後で思ったのだが、普通の家族ではICUに置いておいて欲しいと頼むのかなと。

相談室から退出する時、ICUに入院した時の費用を聞いたが、知らなかったが、さぞかし

びっくりしただろう。

この時点でもまだ、医療費、100万ぐらいなら自費で払うつもりだったのだ。

面談終了時点でする事はなくなり、市役所へ保険の加入申請に出向くことにする。

申し込みは至極簡単で、申請書1枚に名前を書き、三文判をおした、同じ三文判を私と弟の

捺印欄に。印鑑をもってなかったので、役場近くの判子屋で210円で購入したものだ。

後できずいたのだが、印鑑が一回り小さい感じがする。

訂正印の大きさではないが、訂正印のような気もする、そういう印鑑だ。

驚くことなかれ、試算してくれた保険料は、

平成18年度保険料=269230円/年

平成19年度保険料=20130円/年

平成20年度保険料=22110円/年

按分の方法が分からないのだが、2年分で184545円だそうだ。

平成18年度が高いのは、事業所得として171万円ほど申告していたからだ。

この171万円が多すぎると思うのだが、本人に確認は出来ていない。

その他の年は事業所得がゼロなのだ。これも信じがたい。

ここで、お願いしたのは保険料の請求書は私に送る事を要求し、了解されたのだが、

保険証は駄目だという。

この保険証の送り先の本人の住所がまた問題になる。誰かが病院に申告した住所と住民票の

が違うのだ。住宅地図で調べてもらうと、住民票の住所はあっているという。

郵便局で調べて報告して欲しいと要求されたので、郵便局へ行くが、たらい回しをされた挙句に

個人情報で教えられないという。馬鹿らしくなり、住民票上の住所で保険証を作ることにした。

病院の方は保険証の住所にあわせられるだろうと判断したのだ。

同じところに住んでいるのだが、呼び方が2種類あるようなのだ。

次は、妹の家へ行く。携帯に煩く電話してくるのだ。

駅からはタクシー、住所は知らんが国道を走って欲しいと要求、場所は覚えているのだ。

妹と旦那と暫く雑談、保険に入れたという事で凄く安心したようだ。

ここで、一番問題になったのは、今後どうするかだ。

御互いに面倒は見切れないということだ。

私が、妹の痛み止めのモルヒネを大量に飲ませて、安楽死させるかと云うと、座がしーんとなる。

そんなに量がないだろうし、その分だけガンの痛みを我慢する必要がでるので、妹夫婦にとっては

とんでもない話なのだろう。

最終的には暫くは私が金銭の補助をし、早いうちに生活保護を申請させようとなったのだが、

妹が云うには、以前、拒否されたそうだ。

帰りは旦那に車で駅まで送ってもらうが、妹の血色がよいので、ガンが改善されているのかと

聞くと、そうらしいという。

一人でバスに乗り、日赤まで抗がん剤治療に行っているそうだ。

ホスピスに入ろうと探していた者が、ここまでよくなるというか改善するものだろうか。

それとも最後の最後は、状態が一時的によくなるらしいので、それなのだろうか。

21時45分発のJRバスで東京移動で、本件終了だ。

弟の件は20年も前から危惧していたのだが、状況や状態が変わらず、最終章へ向かいそうだ。

最終章、それは弟を見捨てるという事だ。

阿南の方も妹が生きている限りは面倒は見てくれるが、亡くなると無理だし、私の方も私が亡く

なると妻は確実に弟を無視する。

それだけ、脳天気に暮らしていたということだ。

「蟻とキリギリス」のキリギリスなのだ弟は。