昨日、今日とわき目も振らず、話にも乗ってこない状態で年賀状を書いていた。
横でチラチラ見ていると、名簿を作り、チェックが必要な程、凄い枚数を筆ペンで書いていた。
何とかいう連盟のかな書道5段なのだから筆で書けばよいのに書かないのだ。
もっと巧い人が達筆で書いてくるので嫌なのだそうだ。
実用習字はやっていないので、字が曲がっているのが面白いのだが、見た感じは確かにおかしい。
崩せばよいのだろうが、かなのみで、漢字をやっていないので、崩せないのだろう。
適当に崩せばよいと思うのだが、崩せないらしい。
面白い発想だ。
また、そういう人達から、此方が出さなくても相手が送ってくるので、仕方がないのだそうだ。
彼女らは漢字もやっているので、住所等も綺麗な字なのだ。
出すなら葉書をあげるというが、誰にも出さないので要らないと断わると、
「ふーん、昨年はあんなに出していたのに」という。
最近は誰にも世話になっていないし、世話もしていないし、現在の同僚や上司に出す気も
起こらないというか、住所を公には知らないのだ。こういう状況で出すとおかしいだろう。
妻は嘱託とはいえ現役だから出すのは理解するが、私は退職してから3年(?)経つので
もうよいだろう。
毎年くるのは、大学時代の知人、彼も大学を定年になったはず、息子を無試験で入学させて
とお願いした手前、毎年出していたのだが、もういいか。
高校、大学と同じだった友人とは卒業と共に音信不通、此方には出して見たいのだが、住所が
不明、調べれば分かるのだが、気後れがする。
出さないのが華なのだろう。
午後から娘の買い物への付き添いでお出かけだ。
娘の旦那の実家、喪中なのだが、年賀状は欲しいという。
書いたのかな!?。