HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

死刑判決を出した裁判員は苦痛か

裁判員が死刑判決を出すと何か重い負担を感じるような報道が散見されるが、そうかという疑問がある。

確かに、死刑の場に裁判員が立ち会うとなると、負担という苦痛を伴うのは容易に想像できるのだが、

現在も将来もそういうことはない上に、直ぐ処刑されるわけでもなく、殆どの者が上告し、争い、そこで

確定された上で処刑されるのが常なのだから、記憶の彼方にあるのではないか。

人の記憶は美化されるし、都合の悪い所は忘れさられるものだ。

更には、人は残酷なもので、仮想空間では平気で人殺しをするし、ドラマ等ではそういう事件を

面白く見ている、更には四川地震の被害も実像でみてはいるが、心が麻痺したりはしていないだろう。

交通事故で相手を死亡させた運転士は、金銭的、刑務所暮らし、遺族へ謝罪するという苦痛は

あるだろうが、死亡させた相手に申し訳ないという気持ちはどの程度湧き起こるものだろう。

端的に云えば、裁判員はそういう状況に自分を十分に置けるということだし、思い込めるということだ。

逆に心配しなければならないのは、簡単に死刑をだしてしまうことだろう。

案外、求刑以上の罰則をだしてしまうのではないか。

具体的には、情状酌量を認めず、全てが実刑だったり、無期が死刑になったりするのではないか。

逆に、検察の証拠を認めず、釈放されたり。

裁判員、長くは拘束されたくないのは、当たり前だろうから、これを基準に判断するのではと危惧する。

人はそういう風に冷たいものだ。