HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

豊かな老人の勘違い

大阪大学名誉教授の書いた「不良老人よ、甘えるな」を読んで、自分が運に恵まれ、また努力もし

ただろうが、勝ち組に属する老人だと気付いていない事に驚いた。

自分が勝ち組だと気付いていて、負け組みを非難しているのなら、冷たい世間になったものだと

思う。確かに、優秀な若者は第二次世界大戦で殆どが死んでしまい、残ったのは、

腹に一物ある曲者ばかりと考えれば納得はいくのだが、そうなのだろうか。

笑ってしまった文は、

「われら労働者老人から言わせてもらえば、弱者の美名の下、甘えている老人には納得できない。

私など働きづめで、徒遣(むだずかい)いなどしなかった。遊びの海外旅行など一度もない。」

”労働者老人”という言葉にまず引っかかった。老人貴族労働者ではないのかという疑問だ。

また”働きづめで”と言う言葉の真意が分らないのだ、普通一般の人は働きづめのはずなのだが。

会社の倒産や、転職の為に、無職期間が出ることもあるが、それを働きづめでないと言うのは、

酷だろう。確かに、無謀な転職という事もあるにはあるのだが。

親も貧しく働きづめで、子供に教育をする余裕もなく、更に不幸はその子供が親孝行で、家族の

ために働きづめで、生活に追われ、老後用の貯金も出来ず、海外旅行に出かけたことなどもない

老人(75歳以上)って沢山いるのではないか。こういう人達は社会の底辺をさまよっていた可能性が

高いのだが、彼等が社会の基盤を支えていたのも事実、最近は若者がこういう仕事に就かず、

外国人労働者がそれを担うようになってきた、それがよいのか、悪いのかは難しい。

しかし、本来そういう仕事にしか就けない者達はいるはずで、食うや食わずの生活をしているのは

紛れもない事実だろう。派遣、パート、アルバイトの類の職業にしか就けない人達がそうかも知れない。

確かに子供の世話にならずつつましく年金だけで生活している老人は、甘えている老人なのかも

知れないのだが、子供が生活費の補充を出来る環境にあるかも怪しい。

今も昔も貧しさは連鎖するからだ。

「その保険料が仮に年額8万円なら、毎年その1割を減らすことにするのだ。つまり2年目は72000円

(途中省略)85歳になったら以降の保険料はゼロにする、と。」

この文章は、

《その保険料が仮に年額8万円なら、85歳までは保険料をゼロにする。その後は保険料を毎年、1割づつ

上げていく》

というのなら、分る。

男に限定すれば、殆どの方はこの間に50%以上の人が亡くなり、関係なくなるからだ。

生き残った方には申し訳ないが、長寿保険料をお支払いいただくのだ。

後で出てくる「老いて死せず」の状態になるから、お金も要らないだろうと想像する為だ。

「10年たったらタダになるという最後の楽しみを与えよ。それが長寿者への敬意の真の実行なのだ。」

この文章も、

「95歳になったらタダになるという最後の楽しみを与えよ。それが長寿者への敬意の真の実行なのだ。」

と書き換えるべきだろうが、85歳以上になると毎年、10%以上の方が亡くなるので、95歳まで生き残る人

は、家族や財産に恵まれた稀な人だろうから、保険料は関係ないのかも知れない。

最後に、

孔子は不作法者の原壌(げんじょう)という老人に向かって「幼いときから礼儀知らず。大人となってから

これという取りえもない」と罵しり、「老いて死せず」と言って、つえで原壌のすねをぴしゃりとたたいた。

孔子は厳しいのである。」

背景を知らないので、何とも言えないのだが、想像するに

1)子供の頃からの知り合いで、仲が良くなかった

2)原壌(げんじょう)は教育を受けていないか、受けられなかった

3)有名人にはなれず、平凡な下層階級で過ごしたか、幽閉の身なのだろう

4)「老いて死せず」と言われた年齢は不明だが、隠居という事も考えられるだろう

5)隠居した老人を隠居しない老人が責めるのは嫉妬ではないのだろうか

こういう例え話しが一人歩きする事が怖い。

面白いのは豊かな老人は自分が富だと思はないのだ。

また、若い頃の延長線上の仕事につける老人は幸せで、已む無く、未経験の仕事に就き

右往左往している者のことなど思いも寄らないのだろう。

現代社会の根本問題は、4)で示した隠居をせず、いつまでも社会に関わろうとする老人が多すぎる

ことだ。これが社会の変化を妨げる。

こういう視点では「不良老人よ、甘えるな」は正しく、不良老人とは隠居をしない老人で

老害という言葉が適切なのかもしれない。