HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

療養生活への応援と対応の仕方

療養生活への応援と対応の仕方がよく分らないのだろう、夫婦で対立する。

先日も、息子が私と二人で昼食を食べているときに、「仕事をしたい」と言ったのだ。

「仕事をしたい」とは、医者にも妻にも告げていたのだが、その話しを聞いた時、「いいことだ」

と妻には話してあったので、今回も、そのつもりで、対応したのだが、後で考えると、

「仕事をしたい、付いては、仕事を紹介してほしい」という事であったのではと、思い出したのだ。

言葉足らずで、「仕事を紹介してほしい」が口に出せなかったか、口に出さなくとも当然のこと

だと思っているのか、言葉通りで「やるぞ」という意思の表現だけか判断できないのだ。

妻に不安を告げると、思いだけだと思うと云うのだが、仕事を探す態度があるわけではないのがその根拠だ。

作業所のような所で働くのは「嫌だ」と明確に意思表示をしたそうなのだ。

一昨日も支援所に出かけたのだが、二時間もしないうちに帰ってきたので、理由を聞いた所では

「人が一杯なので帰ってきた」と答えたそうだ。

以前に、「家でゆっくりしていたい」、「支援所に行くの寒いので面倒だ」と話したと聞いていたので無理は

ないと推測したのだが、

「人が一杯なので帰ってきた」の取り方が違い、話しあい、午前様になってしまう。

妻はおかしい派、私は当然派。どちらがより真実に近いのだろう。

また、「一杯」という意味でも相違がでる。

更には息子の将来についても、方向性がずれてきた。

病院へ行きだした頃は、

「ご近所に迷惑を掛けなければ、このままでもよい、諦めよう」という事で一致していたのだが、

最近は、「作業所でもよいから就職してほしい(出かけてほしい)」と

「無理してすることない、家で好きなことをしていてもよいではないか」のように意見が違ってきた。

もう一件、話しの中で、出たことには事実驚いたのだが、

「携帯メールを返信以外できない」

「パソコンが出来なくなった」

「電車の上りと下りがわからない」

こういう一般的な事が出来ないと就職等出来るはずがないというのだ。

実は、最近まで、私も「携帯メール、返信すら出来なかったのだ」

パソコンは妻も、ゲーム以外は出来ないと言っても云いすぎでない状態だし、

「電車の上りと下り」は、私、30歳近くまで知らなかったし、未だにそういう言葉使いをしないのだ。

こういうことで、何が拙いのだ、これで病気と判断するのはおかしいと話すのだが、意見は不一致のまま。