HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

若かった頃に出会った素晴らしい女性達

最近、またまた昔をフラッシュバックするように懐かしむというより確認したい気になる。
 
昔の女友達等を覗いてみたいという願望なのだ。

年をとるとそういうものか、感傷が過ぎるのかは分らない。

覗いて見たいのは、

小学校の頃、親切にしてくれた二人の先生。一人の先生は近所の方で、20年後ぐらいに嫁を紹介して

くれそうだった方で、両親とも親しかった方だ。

もう一人の方は、三年生の時の担任で、ものすごく美人だという記憶とモダンな自宅に住んで居られた

のだ。後で母から嫁に行ったと聞いたので、当時は独身だったのだろう。

名前を書けば分ってしまう恐れのある○○教諭と川崎教諭、生きて居られれば80歳、70歳ぐらいか。

○○教諭には二人の娘さんがいたが、見てみたいとは思わないのも不思議だが、

同級生で覗いて見たい方もいないというより、記憶がない。

中学生の頃は、

喧嘩ばかりしていた判子屋の一人娘の○さん、実名書けば容易に分るので○とした。

多分、彼女だけだったのだろう親しかったのは、他の方で記憶があるのは男性ばかりだ。

出来たばかりの市立高校を受験、彼女は合格、私は不合格でそのままになってしまった。

高校時代は、最初の一年間、失意の時だった。

この時代の人で会って見たいのは、よく県立図書館で会った、上杉先輩のガールフレンドの○○さん。

○○さんは一歳年上、高校時代は美人だったのだが、大学入学後、ぶくぶく太り、且つ、印象が変わり

ゲンナリした記憶がある。親の後を継ぎ開業しているので、病人になれば会えるのだが。

もう一人は彼女と同級で、地元の薬学科に進学した人で、名前は忘れてしまった。

彼女達は城南高校城東高校の人で、勉強友達、いや競争相手というべきか。

電車通学していたので、よく会ったのが、妙子さん、苗字は忘れてしまった。

秋田町で小料理屋をやっていた人の娘さん、とはいえ、派手だとか乱れているということではない。

父親が無くなったとき、店の前までは出かけたが、入らなかった。お店を手伝っておれば、会える。

通学電車で偶に見かけたのは、中学三年時代の同級生の酒井さん、実家は魚屋さんだ。

私と同じ時間帯の電車では絶対に遅刻なのだ、話す機会もなかった

自分の高校で、会って見たい人はいない。

大学時代には二人いるが、両者共、口を利いたこともない。

一人は数学科の藤井さん。

同窓会の会報に紹介文が載っていたので、元気なようだ。

もう一人の方は教育学部に通っている方、挨拶をするぐらいで、話したことはない。

彼女にも会って見たいが、名前を知らないので、無理だろう。

二人とも、すっきりとやせていて、好きなタイプなのだ。

アパートの近くのお好み焼き屋の彼女とは、客と看板娘の関係より一歩も出なかった。

就職後に一度出かけたことがあるが、立派なビルが建っており、その中にお好み焼き屋があった。

小学校、中学、高校、大学時代は、女性達はいたが、女けは無しに等しい。

大なり小なり目的があり、一応努力していたので、男女交際という感じの付き合いはないのが、

今にして思えば残念だ。

就職してからは

結婚するまで、した直後にすばらしい女性同僚や女友達にめぐり合えたが、時間がないのと、
 
女性より仕事の方が面白かったのだ。

やがては上司と部下の関係が強くなり、女性を女性と見なくなってしまった。

結婚して、女性は面倒だという意識が強くなり、そういうことになったのかも知れない。

当然だが、皆さん、理科系卒の方で、独立独歩、可愛らしいだけではない。

異質を求めたのか、妻は文系、失敗だったような思いが、最近強いのは、娘を見ていてだ。

社外で知り合った女性が、「若かったあのころ」で書いた薬剤師の方だ。彼女とは帰郷した時、

徳島から岡山まで、鈍行列車で乗り合わせ、話しが合い、文通が始まり、遠距離交際だ。

知り合って一年ぐらい付き合っていたが、倉敷でデートしたのが最後、何分、玉野市日立市

遠すぎたのと、彼女は私が入学出来なかった徳島大学医学部出身、負い目もあった上に、

同年、お互いに仕事が楽しい時期、彼女は交代勤務もあり、当方は徹夜と出張三昧の毎日、

近くに住んでいても無理だろうと思うぐらいだ。

暫く文通が途絶えた後、何してるの元気という手紙がきたので、遠すぎる、忙がし過ぎる

分かれようという返事をだしたのが、最後だ。大阪あたりでデートしようという返事をだしておれば

結婚したかもしれない。

こんにちはと訪ねてみたい感じはする、多分怒らないだろう。

次に付き合ったので思いでがあるのは、高校の英語の郡司先生。

彼女ともアメリカと日本の距離があり、文通期間が長かった。

帰国後、両親が会いたいと云っているとか、家を継がねば為らぬので、婿にという話しがでた途端、

すんなり分かれてしまった。

紹介され強引に会わせられたのは、常連の飲み屋の女将の妹だ。東京で数学の高校教師を

しているというので、女将のお店で何回も会うが、しらふで会う迄の話しは進まず。

酒が弱かったのか、飲みすぎなのか、店に行くと飲み友達がいて、飲んでしまい、彼女が東京から

くる間にべろべろになってしまうのだ。

男性であって見たいとするなら、この時代の飲み友達だろう。

そのうちに今の女房と知り合い、こちらは何時もしらふで会う。

彼女、全く普通、普通過ぎて面白くも可笑しくもないが、昔から大事にされてるとは感じる。

高学歴の主婦は家事をしないと友達に入れ知恵され、それを真似ているらしい。

しかし、彼女の妹も高学歴で進学塾の数学の講師だが、家事や裁縫が得意なのだ。

結婚後、社長秘書の素敵な女性に出会うが、どうしようもない、長女が生まれていたのだ。

最後は、東京勤務時代の部下の一人の女性、素敵な人でしたが、仕事が終わるのが終電車

の時間帯、土日は帰宅、会社外で会おうとかさそうという気持ち全くなし。

娘とほぼ同じ年、且つ大学の先輩、ちょっとばかり対応する意識が違う。

東京時代が一年ちょっとあるが、全くなにもない時代、仕事という砂に足を取られた砂漠の

ような時だ。

女性遍歴するにふさわしい時代に異分野、新製品開発、出向、ミスマッチな部下と悪い状況下に

置かれ、機会を逃してしまったのだ。

同期を見渡しても、女性で失敗したのはいないというより、女房だけだ。