昼食時、なにを思ったか女房が、手作り味噌の話をしだした。
例によって、要点がはっきりしない話し方なので、拙いかなと感じたが、そのままにしていると、
息子が、「味噌、ラーメンに入れたの?」と聞いてきた。
実は、息子、味噌が嫌いなので、味噌汁を食べないのだ、そんなこと分っているはずなのに、
ラーメンを食べながら、味噌の話をしたのだ。
妻がきょとんとしているので、
「醤油ラーメンだよね!」と念をおすと、
「醤油ラーメンです」と答えたので、
更に、
「味噌を入れてないよね!?」と聞き返した
「味噌は入れてない」と答えたので、ほっとする。
すると、息子が安心したように、汁を飲んだので、ほっとする。
妻も状況というか状態を総合的にというか有機的に把握できないのではないかと疑るが、
反対に、筆者が過敏なのだろうかとも思う?!。
味噌の話は、なんの事はなく、熟成していた味噌を樽から出して、冷蔵庫に入れたという
だけの話なのだ。
次の話があって、「味噌の使用量が多い」ような話をすので、更にドキッとする。
味噌で調理したものは何も食べないという事は自分が一番、分っているはずなのに、
なぜそういう発言をするのか分らんのだ。
隠し味として、味噌を使っていても、そんな事、話しては為らないことが分らないらしい。
味噌が入っていると分った瞬間、食べなくなるのは何度も経験してるはずなのだが、
経験が現在に結びつかないようだ。
味噌汁に使っていると補充したが、味噌汁は殆ど作らないので、健常者なら、おかしいと
感じるはずなのだが、分らないとでも思っているのだろうか?
相手の反応もなにも感じなくて、機械的に話しているので、そういう事になるのだろう。
食後、味噌の話なぞ何故すると聞くと、話題がないからだそうだ。
話しかけようとするのは、医者から話し相手になって欲しいと言われているからなのだろうが、
何も、相手の神経を逆立てるような話をなぜするのだろう。
事の優先順位が、一般と違うのか、無頓着なのか、アホなのか、30年、一緒にいるが分らん。
更に、
裏の畑で、完熟牛糞堆肥を抄き込んでいると、臭いと、伝えてきた。
筆者は全く臭わないのだが、臭うものだろうか?。
臭うなら、周りの住宅の人達に迷惑を掛けていることになるのだが、堆肥から化成肥料に
切り替えるのもなんなので、家庭菜園、休止となってしまう。