HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

やっと気付いたのかな裁判の好い加減さに

テレビ朝日サンデープロジェクトを見てて思ったのは、

マスコミもやっと気付いたのかなと裁判の好い加減さ、または限度を超えた思考の停止に。

だが、所詮、裁判官も国家公務員、組織は違っても仲間の仕事にケチを付けるのは難しい。

どの分野、業界でも同じだろう。

放送局も他局の内容にケチはつけ難いでしょう?

新聞社も雑誌社もメーカーも同じでしょう?。

特に、競争のない裁判所、検察なんてそりゃつるんでいて当然でしょう。

評価はどうしているのだろう?

検察は有罪率、これは当然だが、裁判所は何が指標なのだろう?。

無罪率?有罪率?裁判の迅速化?なんだろう。

警察は逮捕率、うーん違うか?防犯率?

思うに、犯罪の嫌疑を掛けられないのが、一番だが、捜査官、検事、裁判官、弁護士に

よって、命運が左右される、すなわち運。

宝くじにあたるか当たらないかと同じ運だとすると、情けない。当たらないようにするには

疑われない、君子危うきに近寄らなずが正だと、「特急内で強姦、容疑の男を再逮捕 

乗客沈黙」は当然の行為、何故なら容疑者と揉めたとき、相手が怪我でもして、逆に暴行罪

で、告訴でもされ、自白するまで拘留されたのではたまらない。

裁判が好い加減なのか、裁判官が好い加減なのか、裁判官がヒラメなのか判断しかねるが

これを是正する方法は、陪審員制度の充実による「疑わしきは罰せず」の確立、街の弁護士の

収入アップによる裁判官からの転職の容易化、我々のやってないことはやってないという意識

改革か、罪の意識の希薄化しかないか。

履歴書にどうどうと前科3犯等と書ける世の中、すごい世界になりそうで、恥の文化破壊だ。

公正な選挙で選ばれた大統領が嫌だといって、暴動を起こす風潮はよくないと思うので

こういう好い加減さを是正していかないと、芸術の国並みにやがてなってしまう。

芸術の国は既婚者の約50%が不倫してるって聞いたけど、これは元気でいいなと思う。