HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

トリアージ

NHKスペシャル「トリアージ」を見て、運不運で生きるか死ぬかが決まるなと再確認した。

トリアージ」する医者は自分の技量で判断するだろうから、経験豊富な医者だと助かり、そうで

ないと搬送不要と判断され、死ぬんだなと感じた次第。

当然だが、経験不足な医者、慎重な医者だと、兎も角、搬送と判断するかもしれない。

また、運ばれた病院によっても運命が変わってしまうだろう。

事故に遇うのも運、めぐり合うトリアージする医者も運、搬送される病院も運、事故に遇う場所も

運、運だらけ。

兎も角、番組を見て、タグに判断した者の名前を書いてないようなので、無責任というか、

パニックに陥っているというか、こういう場面で命は失いたくないが、運か。

事故に遇う場所というのは、サリンテロの時、聖路加病院が搬送されてくる全ての患者を

受け入れ、日常診察も中断し、病院総出で対応したことを思い出したからだ。

東京だから、大病院が沢山あり、容易に患者を回せたのかも知れないけれども。

医者の技量なんて天と地ぐらいの差がある。

女房の友人が救急車で大病院へ搬送された時、診察した医者は、神経痛だったか?の判断、

偶々、傍を通りかかった部長がおかしいと直感、即検査で大動脈瘤と判明し、命拾いしている。

まさかと思うが、事故現場に内科医ってことはなく、外科医なんでしょうねえ、全員が。

しかし、不思議に思うのは、確実に死んでいる人以外を、全員、病院に搬送するようなシステムに

にしないのだろう。道端でなく病院で死んでもいいんじゃないか?。

すりきず、打ち身、手足の骨折等々で搬送された者など、手当ての人手が足らなければ、

病院で後回し、または、転院させればすむと思う。

救急車が足らなければ、トラック、バスで運べばいいじゃないか!。

トリアージなんて、関係者の無責任さ、責任逃れの現れでしょう。

私の提案は、町市村単位で大事故が起こったとき、一時受け入れする病院を決めておき、

そこに応援の医者、看護婦が参集すれば済む問題ではないのか。

運びいれる病院が決まって居れば、現場から患者を運ぶのなんて、市民の手を借りれば、

あっというまに終わる。

運びいれられた病院に手術台が1台しかなく、100人の手術を要する患者が運び入れられれば

如何しようもないが、道端で死ぬよりはいいと思う。

幾らトリアージしたって、運びいれられた病院に手術台が1台しかなく、10人の手術を要する

患者が運び入れられれば、如何しようもないので、同じだろう。

ふと思ったのだが、トリアージって診療放棄、診療拒否の類では?

誤診でない判断ってどうやるのだろう。

失血多量のものを輸血もせず、止血もしなければ、必ず死ぬ、犯罪ではないのか!?。

例えば、交通事故に遇い、大怪我してる人に遭遇したとき、見捨てても犯罪にならない?

犯罪にならなくとも、倫理に反する。

尊厳死安楽死ではないが、なにかの宗教の輸血拒否に似ている?

はたまた、人口呼吸器をつけなければ死ぬと思われる患者に着けなかった?

人口呼吸器をつけて呼吸していた患者から外す?

育児放棄で子供を死なせた親?

トリアージって、まずい感じがしてきた。