HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

運の強い病人

早朝ではなく土曜日の21時頃、激痛に襲われ、救急車で総合病院へ、夜半まで点滴。

レントゲン撮影と血液検査をし、腎臓に異常があるらしい結果がでたが、痛みが軽減したので
痛み止めの座薬を渡され、月曜日に検査をということで、帰宅させられたのだそうだ。
この時点で医者は筋肉痛と診断し、血圧が270あっても、無視したのだそうだ。
医者に言わせると、救急車でくるような病人は血圧がそのぐらいはあるのだそうだ。

月曜日に病院へ出かけ、色々検査をし、検査結果が水曜日にでるということで、ここでも帰宅
となったそうだ。

この間、本人も大したことはないと思い気持的には動きまわったが、実際は痛くて動けなかったのだそうだ。

次の発作が出たのは水曜日の6時頃で、救急車ではなく、旦那が車で病院へ連れて行ったそうだ。

この時も、患者が背中が痛いと言うも、お腹が痛いから背中も痛くなると言われて、取り合ってくれ
なかったそうだ。

彼女の運のいいのは、偶々、心臓外科医が通りかかり、CT撮影をということになり、
撮影すると立派な大動脈瘤が発見されたのだそうだ。当然、彼女が主治医になったのだそうだ。

即、入院で集中治療室生活、一週間、治療といえば、安静と血圧の降下だけだったよう。

集中治療室を出され、大部屋に移った直後に三回目の発作。

「覚悟を!」と言われ、個室に入れられ、子供等々が駆けつける大騒ぎだったそう。

案外、本人は激痛の中でも意識がしっかりしていたのだろう。気を付けないと後で恨まれる。
現在は大部屋で元気そうだという。

集中治療室を出したのは、誤判断で医者が謝ったそうだが、死んでたらどうなったやら。

最初に倒れた時は実の母親(80歳ぐらい?)とコタツに入り、テレビを見ている時で、母親の目の
前で倒れたのに、母親は疲れて横になったと思い、ほったらかし。
本当に激痛が起こると声も出なくなり、体も動かせなくなるらしく、母親に異常を知らせるのが大変
だったのこと。やっとの思いで、震える手で二階を指差し、旦那を呼んでもらったらしい。

ここでの幸運は旦那が早期退職で、家にいたこと。

救急車を呼び、病院へ。不幸はこのときの診断が筋肉痛。酷い診断だ。

何科の医者と聞くが、そんな余裕はなく分からないという。眼科の医者ではと言うが、、、、、、。

総合病院の救急外来といえども、地方都市でもこんなもの!

女房へのアドヴァイスは、「セカンドオピニオンを受けるように話してあげなさい」だが、40年来の友人と
言えども、そんな事は言えないという。そうかな?!。

まだ起きているのは、話を十分聞いてあげた後で、レンタルビデオ店でDVDを10円で貸し出して
いるので、借りに行こうといわれ、はいはいとお供。それを見ていたのでこの時間に。

次の発病は私だろうから、サービスしておかないと、救急車を呼ぶタイミングが遅れる。