HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

日本の核武装

自分の意見をまず明確に示しておくと、核武装には反対でない。
よって、議論することにも反対でない。

政調会長だったかが、非核三原則を堅持しながら、核武装について議論してもよいの
ではないかと発言したことについて、問題しされている。
意味不明な発言として問題視されているのなら分かるが、そうでないようだ。
ニュース番組をみた限りでは、議論することもはばかれる発言をしたことが問題なようだ。
はばかれることは核武装なのだそうだ。

核武装には反対している方々の意見は世界で唯一の被爆国であるわが国が核で武装
するのはおかしいということらしい。
もっともなような意見だが、どこかおかしい。
極端な例だが、家族が自動車事故にあったから、家族に自動車持つな、免許取るなといって
いるようなものだ。
核爆弾は生活必需品でないが、車は生活必需品だから同列に論じるのはおかしいか?
共通してる点は誤れば人を殺すというところだ。
両者とも持っているだけでは人を殺さない。持っていると車は使いたくなるが核は?

数万人殺すのと数人を殺すので、違うという意見もわかるが、殺された家族にとってはどちら
でも同じだろう。
若い時、上長からよく言われたのは、「お前にとっては、部下は補充可能だが、
家族にとっては唯一の者、だから業務上の死亡事故は絶対に起すな云々」
業務上が付いてるところが、胡散臭いが間違いではないだろう。
もう一つあって、「命を懸けて、やらねばならぬ時がある。その時は諦めろ、云々」

自分の核で自分を守るのは間違いで、他国の核で守ってもらうのは正しい又は許されると
考えることは合理的なのだろうか!、違うだろう。

これも、「安全は自分で確保し、他人に頼るな」とも云われ続けた。

他国の核で守ってもらうことに反対している人達が大勢いることも承知している。
わが国が攻撃されたとき、国連等が何とかしてくれるということも分かる。

しかし、国連等が何とかしてくれるまでに、何千人か何万人かが死ぬことになるだろうが、
例えばだが、新潟の人、福井の人、東京の人が大勢死んでも、自分と家族が安全なら
それでよいという、そこまで無関心というか遅れてよいのか?。

核を持っておれば、攻撃して来ないというのも信じがたいが、抑止力ではあるだろう。

わが国が核武装できない根拠が被爆国であるということを声だかにいうことが恥ずか
しくないのか?
被爆国ということは戦いに敗れたということ、敗れたということを主張することは、
恥ずかしいこと、情けないことと思うが、違うのか?。

憲法改正もそうだが、押し付けられた憲法だから改憲する、これも恥ずかしい理由だ。
憲法を押し付けられた等々の発言、これは他国に占領されたと叫んでるようなもの。
たとえ事実であってもだ。
時代に合わない、強化する云々と言えばよいだろうに。

余談だが、恥でも何でもないので、従軍慰安婦も認めてあげればよいのにと思う。
冗談だが、昭和○○年に生まれた人の大部分は兵隊に犯され日本人の血が半分
入っているぐらいのこといってやればいいのにね。
怒るだろうな~。従軍慰安婦認めない人と言われた国の人。