HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

失恋は美しいもの、不合格は恥ずかしいもの、かな?

失恋は美しいもの、不合格は恥ずかしいもの、かな?

失恋は一杯した。受験も2度失敗、高校受験と大学受験だ。

就職は一度、会社員と教員の選択、ミスだったと今は思う。

会社のリストラ候補になり、止めた時、会社が就職先を斡旋するリクルート・キャリア何たら

を紹介してくれたが、希望職種が余りにも元職と違い、止められたが、この助言を受け入れ

なかったのが二度目の失敗。

工程、品質、予算なんかに責任を持ちたくなかったというのが理由。

でも、自分で選んだ設備管理業で楽しく9年勤めたから、良かったようにも思う昨今。

お金を稼ぐには最低だったが、触れあったことのない人達にまみれて面白かった。

調理師、ダンプ運転手、金融業、清掃、自衛隊、不動産屋、職工、農業、消毒屋、元ヤクザ・・・・。

流石に、職場だけの付き合いに留めた。

一杯した失恋で、思い出すと胸がキュンとなり涙がでることがあるのは

高校時代の友達、当時は恋なんて思わなかったが・・・・。

彼女は1歳年上で、大学進学後に変わった姿を見て幻滅したのだが、今、思い出すのは

必死で受験勉強していた頃の姿。お互い、痩せてモデルのようだった。

医者志望だからお互い凄く勉強してた。4当5落だったから。

もう1人は岡山の人で、同い年で医学部薬学科卒の人。

私の負い目と岡山と茨城の遠距離交際とお互い仕事が忙し過ぎて、1年ぐらいで分かれた。

彼女は合格、私は医学科だったけど不合格、同じ部、当時は。

三人目は、茨城の人で、英語の先生。

彼女の場合は涙の意味が違う。どこでどう誤解したのか分からないが、彼女が私が大学を

出ていないと判断し、別れの手紙が来たのだ。彼女の親が大学を出て居ない男は駄目だ

と言ったのだ。彼女の父も祖父も大卒だから、そうなるんだろう。
 
でも、いい人でした。

彼女と言えるかどうか難しいが、上記3人の中で、一番思い出すのは、高校時代の人。

若くて、一番純真というか、綺麗な思い出だからかも知れない。

高校は多分合格するだろうという評判の中で受けたが、不合格で、二次志望高合格。

多分、音楽が0点、未だに楽譜は読めない。

今にして思えば、この不合格で、好意を持っていてくれた女性を失った。

中学の3年間、同じクラスで、高校も同じ所を彼女が選択したけど、上手く行かない。

案外、小学校も同じだったかもと思うが、確認できない。

上手く行けば、2人とも教員で共稼ぎだったりするかも。

二次募集校で、腑抜けで、失意の高校1年を過ごした。

同じクラスに二次志望の人が多くいて、皆元気無かった感じ。

大学は地元の医学部を受験、受かるはずがないので、浪人する予定だったが、親が

工務店を継がそうとして、それが嫌で3月中でも募集していた私立大学へ進学。

一応、名城大学工学部航空工学科、東京理科大学物理学科には合格したが親が反対。

理由は学費が出せないという事だった。進学するなら地元大学へという意向だ。

東京都立航空専門学校も受けたが、目出度く不合格。

最終的には私立大学進学の費用は祖父がだしてくれた。

この祖父のことを思い出すと、またまた祖父不孝で涙が出る。

祖父が大阪の大学に行ってた時に知り合った女性が祖母で、多分、勘当されたように思う。

日和佐出身、字がよめなかっつたが、大きな農家の長女。

学校に行ってないのが不思議。

私の父と祖父母は血の繋がりがない、父は養子。

子がなかったので、遠縁から1人もらったという感じらしい。

父の実父は、警察官、多分偉かったと思う、私が中学生の時、市内の警察署の署長。

その後は知らないが順当に行けば、何とか部長になったんだろう、逆か。

就職は高校教員、日立、宮田なんたら(消火器を作っている会社)、名古屋の熱田神宮

近くにある女子高の教員を受け、後者の2つは不合格。不合格の1つは英語の教授の紹介。

社長面接する人として呼ばれたが行かなかった。

教授と社長が同級生。

女子高の方は、どこを受けてるかのような事を聞かれたのと、何故此処かと聞かれた。

どう答えたか覚えていない。

教授の所へは誤りにいった。

今でいう囲い込みなのか、

日立の工場実習中に、教育委員会から実家に連絡があったらしいが、私が何処に行っているか

不明で、返事の期限オーバーで不合格(?)、親も中学の恩師ももの凄く残念がった。

当時は、私、全然惜しいなんて思わなかった。

でも、父母の立場からすれば、私が地元に帰り、教諭しながら工務店に関わるのが最高だったと思う。

跡取りは出来るし、嫁はいるわ、私の顔も広いし、良い事だらけ。

嫁は棟梁の娘を押し付けられた可能性大。

一度だけだけど、棟梁の自宅へ行かされ、娘さんにお目通りさせられたから、上は確実かな。

でも私は、万難を排し、HさんかYさんを嫁にしたと思う。

H、Yさんは父母とは合わないし、工務店の手伝いなんかするとも思えないし、揉めたね、きっと。

でも、祖父とは合ったかも、しかし、祖父は亡くなっていたのかな~記憶がはっきりしない。

揉めると、私は妻の立場にきっと立つ。

夫婦で有資格者で共稼ぎは絶対的に強いだろう。

人生、どこかで何かを間違っているんだろう。しかし、今があるのは、選択が適切だったのかも!?。

以上、何時書いたか不明、名前の所は記号にして載せた。

こういうことを最近、夜中に思い出し、涙がでたり、寝られなかったりする。

これから狩猟者登録に行くが、大雨、行きたくはないが、残り少ない趣味なのだ。