HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

久しぶりの国際電話

元同僚より、国際電話があった。

「短命でしょうが、菅首相おめでとう」を書き終えて、投稿した直後だ。

書いている途中なら、出ないのだが、出た。

最初、相手が名乗っているのだが、聞き取れない、西村と聞こえるのだ。西村という人物も昔は知り合い

がいたが、もう20年もご無沙汰で、今更だろう。

どなたですかと聞くと、相手も西村という、暫く、誰だという会話が続く。

東村田昭さんですよね、昔、〇〇にいたと聞く、そうですと応えるが、名簿を見れば、私の名前などあちこちに

載っている。聞いたことのない声でもあるから、ますます分からなくなるのだ。

インドネシアから掛けているのですが、東村田さんですよね、△△ですと聞こえた、え~、△△。

初めて、納得した、此処まで言われないと、頭の中で聞き違えてしまうのだ。

声も違うのも理解したが、本人かどうか暫し、確認の会話が続く、申し訳ない次第だ。

火力発電所の建設に昨年の9月から単身赴任し、ホテルぐらしなのだそうだ。

寂しいから電話してきたのだそうだ。

離婚でもしたのかと思い、何処に住んでるのかと聞くと、日立、八王子、インドネシアをくるくる回っている

のだそうだ。八王子は大学生の息子と帰国した時に同居しているらしい、すると、勤めている会社は東京にある

のだろうが、それ以上は聞かない。

11日(金)にリストラ者の例の集りがあるので、来るかと聞くと、7月までは無理だという。

諸々の話を聞いていたが、リストラ者の中で一番の高給取りだと褒め上げる。

帰国時に土産を期待すると云ったが、インドネシアの土産を貰っても困るかな~。

ヤル気と度胸とやらざるを得ない環境があれば、仕事はそれなりにあるという事だろうし、

リストラ者の集りに来るのは、気楽に行こう、行ける人達ばかりなのだろう。

初めが肝心ということなのかもしれない、彼は最初、火の中に飛び込んだ、唯一の人だった。

驚いた電話だったが、日立が30年もかけて教育した人ではあるのだが、社内では変わっていた。

ここが国外で活躍できる下地だったのだろう。

メールアドレスを教えろというので、教えたが、正しく伝わっただろうか。

楽しみだ。