HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

不幸は連鎖する

苦痛な弟支援どころではなくなりそう。

宗教やそういう世界に逃げ込む人の気持ちが分かるような気がしてきた。

郷里での顛末だ。

まずは弟のマンションへ行き、管理費を払おうとするが、朝7時半だと言うのに会計さんが不在。

時間潰しにベランダの掃除をしていると、隣のおばさんが玄関のドアをあけて入ってくる。

第一声は「弟さんはどう?」だ。

滞納中の管理費を払ってから、病院へ行こうと思っているので、状況不明と説明するが

何分、80歳を越えた年寄り、話しが通じない。

管理費を預かって欲しいと依頼するが、「嫌だ」という。

最終的には、遠くからきているので、大変だろうという事と、ご主人が預かってやれと云って

いるという事で、お願いできた。

これで、弟の入院している病院へ移動したのだが、途中からスコールの様な雨だ。

濡れながら、病棟へ行くが、階が思い出せない。

閉鎖病棟なので、ナースセンターへ電話し、エレベーターを動かしてもらわねば、中へ入れない

のだ。仕方ないので、エイヤで電話。今度は言葉が通じないのだ。

二回も聞き返されてしまう。

徳島弁ではなく茨城弁なので、看護師も驚いたのかも知れない。

病室へ行くと、弟は朝っぱらから寝ている。

しかし、今回は起きて、私の顔を見ると、兄貴が見舞いに来たと瞬間に理解したようで、

ホットする。

ホットした通り、話し声もしっかりしているし、歩き方も普通なので、驚いてしまう。

聞くと、医者が院長から若いのに代わったそうだし、病室も相部屋になっていた。

相室の人、70歳ぐらいと思うが、病人とは思えないほど元気、話に参加してくるのだ。

ただ、退院したいとは言わないので、退院すると、パチンコ、競輪、競艇がし放題だと言うと

顔が笑っている。医者が認知症だと診断しているので、生活保護は死ぬまでもらえると

嘘か真か分からない事を持ち出し、弟を退院させようとするが、

「医者が退院は駄目だ」と言っているという事を聞き、止める。

駄目だといっている根拠らしい事は「朝飯に何を食べたか」が云えない事のようなので、

「そんな事、誰も判らない」と言ってしまう。

興味を持っていない事を聞かれても分からないのが普通だと指導してしまう。

他人と話さないと頭も呆けるし、記憶力も落ちるので、相部屋の人と雑談するように助言だ。

本人は外出したいようだが、大雨なので、無理だと伝えると、

妹の所へ行くなら、元気だと伝えて欲しいという。

これで、行く気のなかった妹の所へ行かざるを得なくなってしまった。

一時間ぐらいを掛けて行くが、途中、道を間違い、迷子になる始末だ。

何時もの通り、駐車場に車を止めて、新居に入るが、電気が消えていていないのだ。

またどこかに遊びに行っているのか、日赤へでも云ったかと思い、帰ろうとすると、

おばあさん(義理の母)が「兄ちゃん、兄ちゃん」と呼びかけてくるので、面倒だが、話相手を

するが、驚く話がでた。

年寄りの話しで、「私は知らないのだが、日赤から中央病院へ移ったと、孫が話していた」

というのだ。

また、「抗癌剤の点滴も止めた」というので、とうとう「緩和ケア」に入ったかと驚いてしまった。

見舞いにも行けというのだが、私から聞いたと云わないでともいうのだ。

帰りに作業場へ行くと、旦那がいる。

旦那と従兄弟もいた。

昼から、ビールを飲んでいるのだ。

ここで正式に妹が中央病院へ入院していると聞き、帰りに立ち寄ってみてはという。

発病5年で、もう駄目かなという感じの話をすると、8年だという。

旦那と従兄弟にも緊迫感というか、そういうものが感じられないので、病院の位置を教えて

貰うが、何分にも地理不案内、何度聞いても分からないが、国道を徳島へ向かって走ると

右側に見えるというので、行く。田舎のいい所なのだ。

病院へ行くと、受付もナースステーションへも行かず、いきなり病室へいく。

ベッドにごろりと横になっていた。

顔色が悪い様子や痩せたという感じもないが、声が嗄れている。

鼻の穴に酸素補給器を付けっぱなし、ないと苦しいのだそうだ。

当然、励ますしかないだろうから、励ます。

また、弟は元気になったので、退院はさせられるだろうというと、病院へ置いといた方が

長生きできるので、其のほうがよいというのだ。

話の経緯上、私も毎月、喉が詰まるので、内視鏡で検査していると言うと、

死なれては困るという。

ここからがよく聞き取れなかったのだが、確認という分けにも行かなかったのだが、

どうも、妹の娘か、その子の一人が大学病院で手術をするのだそうだ。

原因は口の中に、黒い腫瘍が出来たので、それを除去する為だという。

これには、驚いてしまった。

これ以上、長居をすると、もっと悪い話がでそうなので、眠いので、弟のマンションへ

帰り寝るといい、逃げ出したが、酷いはなしだ。

楽しみにしていた、小さい時に祖父母に連れられていった日和佐、美馬、北島にも行く

気力が失せてしまい。

本当にマンションで23時まで仮眠だ。

当然、国道1号と2号をドライブして帰る計画もチャラ、高速一筋で帰宅。

途中、葬式のことばかりが頭を過ぎるのだが、不思議に腹は減った。