HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

総理大臣は誰がなってもやれる

「総理大臣は誰がなってもやれる」というのが自民党の総意なのは分かるが、政治家になって

2~3年の人を総理候補にするという物凄い動きには驚いた。

確かに、しっかりした官僚組織があるので、日本語が読めれば、総理大臣や大臣は務まると

思うのだが、少なくとも官僚におんぶにだっこの状態では、改革は進まないだろう。

改革と言っても、政策立案や施行を今以上に官僚に一任するという方針も、改革と言えば改革

だろう。政治家がヘタに口出しをするから沈滞すると考えると、口出ししないと言う方向に

進むのも立派な改革だろう。

県や市町村長も多かれ少なかれ誰がなっても、神経が図太ければ、やれるようだが、確実に

役人任せなのだろう。

役人任せでやれるならそれでもよいと思うが、議員の報酬は派遣社員並みに下げる必要が

ある、無駄だからだ。

そういう意味で、民主党脱官僚と言っているが、総論賛成で各論には不安があるのだ。

自民党は政策から国会審議の応答まで官僚に投げているようだが、民主党も官僚に質問

を投げかけその回答を資料としているが、これって自民党とほぼ同じ行為だと思うのだ。

すべて、官僚の手の内で動いている、動かされているのと動かしているの差は大きいと思う

が、ニュース等の種が検察・警察のリーク情報に頼っているのと同じで、誤審、誤認、誤報

即ち、誤政策、無駄づかい等々無くならないと思うのだが、、、、、、。

それでも、政権交代はあった方がよい、「総理大臣は誰がなってもやれる」の誰がの誰が

が代わると、着想の発起点が代わり、マンネリが多少とも改善されるからだ。

安部、福田、麻生各氏が総理大臣を務められたのだから、宮崎県知事に出来ないはずはない

のだが、彼がG8や国連に出ている事を想像すると、何とも云いようのない笑いと不安が

頭を過ぎる。知事なら笑いだけ、所詮は宮城県や大坂や千葉の問題で済ませるからだ。

品性、品格、風格、求めてはいけない時代に突入したのだろうか。

国力十分ということなのだろうか!?。

担うと演ずるの違いなのだろう。

官僚機構がしっかりし、清潔であれば、総理大臣は役目を演ずるだけでよいのだが、

自民党の不幸は官僚機構がぐちゃぐちゃになった上に、総理大臣職を担うだけの品性等を

備えた人材が枯渇、それで演ぜられる人を探した結果が、このていたらくということだろう。