HIGASHIMURATA’s blog

東村田昭の備忘録

G7の意義とは何ぞや

7ヶ国の中央銀行総裁と財務相が集まり、会議をするのが、G7らしく、

G7とは、米国、日本、ドイツ、イギリス、フランス、カナダ、イタリアのことなのだそうだ。

話す言葉は、英語、日本語、ドイツ語、フランス語、イタリア語の五カ国語だ。

ブロークンや日常英会話で会議が成り立つとも思えないので、通訳がいないと会議にならないし、

資料も事前に各国の言葉に翻訳されているのだろう、それとも、その場で翻訳するのだろうか。

母国語で読むのと、外国語のそれを読むのとでは、速度も理解度も違うのは多くの方が経験済みだろう。

単に集まり、飯を食いながら、雑談をするのが意味がない事だとは、全く思わない。

日本の総裁は金融について語れると思うが、政治家の財務大臣が財務について語れるのだろうか疑問だ。

更には、現役を離れていた方がその職について、早々に議論できる程の水準の議題なら、出来議論なの

だろう。

端的に云えば、裏方の人達が事前に話し合い、一定の方向付けはなされていると想像するのだが、

どうなのだろう。

ぶっつけ本番の議題で議論して結論など出せるのだろうか、出せるとすれば、総裁や財務大臣が絶大な

力を持っておれば可能だろうが、今の日本に限定してもそういう力があるとは想像できない。

日銀が金利を上げようとしても、上げられず、財務大臣が何がしの出資を約束しても、それを認める法律

が国会を通らない可能性大だろう。

他国も同じ状況にあるのではないかと想像してしまう。

G7とは何ぞやと調べているとき、G7の前にあるG5で全てが決まっているとの記載もあったので、

カナダ、イタリアは虚仮にされているとも思うのだが、面子を立てるために、内定としているのだろうか。

其の通りなら、財務省出身者を3度も提案した政府の意図も読み取れる。

ただ、総裁という立場の人がG7の会議に出ないのは真に見っとも無いという面子、あわよくば、野党が

合意すればもうけものという意識、ひょっとすれば、批判が野党に向くという期待があったのだ。

政争の具にしたという事だろう。

可哀想なのは、候補者と思うのだが、政府に頼まれて、出てきた人の気持ちも分らない。

KYな方達だったのであれば、野党の拒否は正しい判断だ。