加齢と環境変化、さけ難い死に至るなりわい、人間だれもが一度は通る道なのだろうが、
記憶が確かで、比較する能力がある者には辛い現実だ、それを忘れる何かが必要なのだが、無い感じだ。
「朝から頭痛がする上、寒気もするし、体もだるい」これが日常になってきた。
外気温も低いので、家の中もさらに寒い、遂に、コタツに入り、ストーブを焚く。
年を取ると寒さ、温度変化が応える、そういう意味で温暖化がよいし、暖かい所へ引越すのもよい。
しかし、環境の変化、大げさでなく言えば、状況の変化に戸惑う、簡単で大した事はないはずなのだが、
ストーブを焚くために、妻が留守なので、石油をタンクに自分で入れたのだが、結婚以来始めて、
参ってしまう。多分、適当にという感度が違うのだろうが、
タンクに石油を漏れなく、この漏れなく入れるのが難しいのだ。
こんなに難しい事を妻がやっていたのかと思った時は、気持ちもすさむのだ。
肉体は加齢で仕方がないが、精神の方は、家族の協力がないと直ぐに「プライド」という面から
崩れてしまう。全て崩れてしまえば、立ち直るというか、普通になるのだろうか。
まだ崩れていないのは
1)布団干し
2)風呂掃除
3)便所掃除
ぐらいしかない。崩れるのは時間の問題だろう。
石油入れも以前から寒いからストーブを焚くので、タンクに常に石油を入れろと要求していた
のだが、ずーとほったらかし状態で今日に至ったのだが、寒さに負け入れてしまったのだ。
損得、分業という意味ではないが、取得権益である事は事実、これがもう上記3項目意外にない
状態になってしまった。
あー情けない。
思えば、私が自宅に居る時は、妻も自宅に居るのが普通であったのが、今は、違う。
確かに、リストラ後に拘束はしないので、好きなようにしてよいとは、話した事があるが、
タンクに石油ぐらい入れておけといいたい。
そういえば、妻に「何々をしろ」という命令をした記憶がここ数年ない。
精神が転んだのか、転成したのか、老熟したのか分からないのだが、目的がないのも事実だ。
皆さん、こうなるのかな?。
話を元に戻して、年を取ると、こんなに寒いものなのだろうか。
日頃、ボイラー室という高温の所にいるので、体温調整がおかしくなっているのだろうか。
単なる不満が、異常に寒いという現象を生じさせているのだろうか。
心技体の心は心の安定と充実、技は石油を入れるに苦労したという些細な現実、体は頭痛。
こういう事を考えること自体が、病気なのだろうか。
年を取るという事は、こうなる、こう変化していくという案内書というか、概念書というか、そういう
物はないのだろうか。
現在、62歳と少々、65歳、、、、、70歳になった時、こうなりますよという書き物はないのだろうか。