朝日新聞の広告欄に”未来の地図帳”という雑誌の広告があり、生まれ故郷の徳島県の人口減を
見た。現在が75.6万人で、それが53.5万人に減るとあった。
見た時の感想は22万人も減って、住みやすくなるなということだったが、私が中学卒業した時は
どの位いたのだろうと思い調べると、86.3万人。
え~もうすでに11万人も減っていると驚いたが、団塊の世代がいたから多いのかと疑い更に
調べると、大正3年は74.4万人、更に調べると、明治19年は65万人だった。
纏めると、
享保17年(1732):47万人
明治19年:65万人
大正3年:74.4万人
昭和34年:86.3万人
令和1年:75.6万人
令和26年:53.5万人(推定)
明治元年は1868年だから、1732年だと、明治の136年前になる。江戸時代の中ごろ?。
江戸時代の中ごろと同人口になる~?、嘘だろうという感覚。
”未来の地図帳”という雑誌の示した数値に疑問をもった。
明治時代の人口を割るかな~という疑問だ、当時より経済状況は今の方が格段によいだろう。
底を打つというか、そういう現象が人口にもでるんじゃないかということだ。
徳島県がビジネスモデルを変えて、今の収入を確保できた上で、人口が減ったら一人当たりの
収入はとても良くなるんじゃないか、また、広々とした風景が広がるような気がする。
26年後に私は生きていないだろうし、生きていても97才でもうこういう興味もないから結果を
確認できないのが残念だが、それにしても、今の右肩下がりの角度で人口の計算をするのは
正しいことなのかなと思うし、GDPは人口に比例するという考えもどうなんだろうかと思う。